かつての徳島城には、城の南方向に徳島橋(寺島橋)、東方向に福島橋、北方向に助任橋と三つの橋が架かっていました。それぞれの橋の入り口には門台が設けられており、なかでも徳島橋の門台は徳島城に一番近く、城下の中心地である寺島に繋がる交通の要所でありました。現在の徳島文化センター跡地付近にあたります。
この模型は令和3年度に完成した作品で模型の縮尺は50分の1で材料は檜やケヤキを使用しました。

図2 徳島城門台の復元模型を基にAIで再現
門台を寺島川南西方向から見た図です。この門の奥には三木曲輪があります。門台の前の橋は徳島橋です。この寺島川の中央に橋台がありその橋台からさらに橋が対岸に向かい架けられていました。

図3 三木曲輪内の復元模型を基にAIで再現
正面は鷲之門の内側です。鷲之門の右側は番所で左側は御腰掛になります。

図4 お堀の中に忍び返しの木杭を打ち込まれている復元模型
鷲之門と御腰掛に沿って打ち込まれていました。

図5 お堀の復元模型を基にAIで再現
お堀に打ちこまれた杭が水中からの忍びの者や船で近づく敵の行く手を阻みます。手前は月見櫓の軒唐破風が見えています。お堀に架かる橋は下乗橋で奥には太鼓櫓が見えています。左は鷲之門のある三木曲輪です。
図6 城山の裾野に近い場所に設けられた馬場の復元模型
お城の北側の城山の裾野に近い場所に設けられた馬場の復元模型です。この馬場は徳島城のお堀の北にあった北厩と繋がっており、馬場の西端には雷門があり戦の時にこの馬場で兵力を移動するために設けられました。

図7 馬場の復元模型を基にAIで再現
御厩は二カ所あり、一つは御土蔵御番所の西に建ち、残りは神鳴御門の東に建っていました。平常時は藩主や家臣が乗馬の訓練や弓を打つ訓練に使用されたと考えられます。

図8 明治初期に撮影された徳島藩次席家老・賀島屋敷
写真右側に見えるのは徳島橋で、手前には徳島橋の門台(図1)が建っていました。この橋は徳島城と徳島城下を結ぶ交通の要所でした。
寺島川の中央に橋台が設けられ、二つの橋が二つ架けられていました。橋を渡ると左手に賀島屋敷、右手に稲田屋敷が位置していました。この賀島屋敷と稲田屋敷は嘉永7年(1854年)の南海地震で大半の建物が倒壊し、火災で焼失しました。その後、賀島屋敷は地震から2年後の安政3年に再建されたものです。
賀島屋敷の門は長屋門形式で門幅は鷲之門よりも広く両脇に潜り戸が設けられていました。長屋門は長さ約32.5間に奥行き3間の2階建ての建物で、東寄りに門幅5間の門が配されていました。

図9 賀島屋敷の復元模型を基にAIで再現
賀島屋敷の門前で家老を迎える家臣たちの様子を復元模型を基にAIで再現しました。この長屋門は奥行き6m、長さ64mの門で実に堂々たる威容をしていました。一階部分には出格子付きの窓や格子付きの窓が付き二階部分にも格子付きの出窓が設けられていました。敷地の西側にも出格子付きの窓が6カ所ついた約50mの建物が建っていました。長屋門としては徳島藩内で最大規模の門でした。

図10 復元模型を基に寺島川より長屋門を臨んだ図をAIで再現
復元模型と明治に撮影された写真を参考にAIで再現しました。門前の道幅は約19mと広く、門幅は約10mあり鷲之門より大きな門でした。門を潜ると中には威風堂々とした立派な書院建築が建っており、これらの建物は廃藩置県後の明治12年から昭和初期まで県庁として使用されました。

図11 御花畠屋敷の西に設けられていた長屋門の復元模型
御花畠屋敷は西之丸屋敷の西に隣接し、主として藩主の家族などが居住した建物です。12代藩主綱矩の代に至り、屋敷の西に大庭園を造営しました。この庭園に出入りする通用門して設けられました。この門は奥行き2.5間に長さ8間の建物で門扉が透かし門になっていました。現在、藍住町の奥村家の土蔵に門扉や柱などが保存されており、それらをつるぎ高校の生徒が実測して門を復元しました。徳島城の遺構として残る唯一の門で復元可能な建物です。

図12 御花畠屋敷の長屋門前を行きかう人々の様子を復元模型を基にAIで再現
長屋門の北側に脇戸付きの門がついていました。おそらく使用人たちが利用した門と推定できます。この門を潜ると面積が3町7反の大庭園がありました。
洲本城

図13 洲本八幡神社金天閣(現存建物)
洲本城内の御殿に設けられていた唐破風作りの門と書院です。洲本城も明治維新後に廃城になりましたがこの書院と門だけが残されました。解体時は稲田屋敷跡などに移築されました。大正14年に洲本八幡神社に移築され兵庫県の文化財にも指定されています。金天閣は桁行約7間、梁行は5.5間の書院建築です。

図14 洲本八幡神社金天閣の写真を基にAIで再現
式台で城代がお供を従えお成りになる様子を再現しました。式台は両側に腰板が張られ角柱をたて頭貫虹梁を掛け渡し、梁中央に左卍を彫った板蛙股が付いています。徳島藩ゆかりの式台の唐破風として貴重な遺構といえます。

図15 金天閣の書院横の廊下(現存建物)
手前右の一段上がった部分が上之間になり、その奥は一段下がった下之間になります。廊下は幅が1間半の立派な廊下となっています。

図16 金天閣の廊下の写真を基にAIで再現
洲本城書院横の廊下を城代が小姓を従え上之間にお成りになる様子です。

図17 CG復元図を基にAIで再現
洲本城の蜂須賀屋敷の大玄関で家臣が来客と応対している様子です。正面には大床が設けられていました。

図18 金天閣(洲本城書院)の上之間(現存建物)
正面右は大床でその右は出書院になっています。床の左に違い棚を設けています。天袋はありますが地袋は付いていません。違い棚の左は帳台構えになっており、本格的な書院造りで格式高く造られています。天井は折り上げ格天井で天井板には金箔を貼り豪華なしつらえとなっています。上之間と下之間の欄間は豪華な彫刻が施されています。

図19 金天閣(洲本城書院)の上之間の写真を基にAIで再現
金天閣(洲本城書院)の上之間で藩主と家臣の謁見の様子を再現したところです。建物が本物ですのでその様子がリアルに出ています。壁にも彩色が施され華美の中にも気品を感じるしつらえとなっています。

図20 洲本城お湯殿のCG復元図
洲本城の絵図ではこのお湯殿は2間に3間の湯殿となっていました。風呂は蒸し風呂で風呂屋根は唐破風の模様が描かれていました。徳島城の建物でお湯殿に唐破風の表示があるのは例がなく、珍しいのでCGで再現しました。

図21 洲本城お湯殿のCG復元図を基にAIで再現
CG復元図を基にAIで実写化したものです。藩主が唐破風の付いた風呂屋形の前で背中を流してもらう様子を再現しました。
【予告編ラスト!】徳島藩池田陣屋復元プロジェクト
第3回では、前回までに紹介しきれなかった復元作品をお届けしました。徳島城に関わる「徳島城門台」「徳島城のお堀の様子」「徳島城内北側の馬場」に加え、徳島城下の「賀島屋敷」や「お花畠屋敷」など、県内ではあまり知られていない建物などを中心にご紹介いたしました。 さらに今回は、淡路・洲本市の八幡神社様のご協力により、境内に現存する「金天閣(洲本城の御殿)」の室内画像を掲載することができました。
発表日まで残すところわずかとなりましたが、本ホームページで「本校の伝統と挑戦」を感じていただき、当日の生徒たちを温かく見守っていただければ幸いです。皆様のご来場をお心よりお待ちしております。
「徳島藩池田陣屋復元プロジェクト」をご覧いただき、誠にありがとうございました。
案 内
先輩たちの想いを引き継ぐ「徳島藩池田陣屋復元プロジェクト」
今回発表する「徳島藩池田陣屋復元プロジェクト」は、これまでの45年間で培われた先輩方の知識と技術、そして最新のデジタル表現を融合させたプロジェクトの総決算です。3年3か月の間、生徒たちは試行錯誤を重ね、地域や歴史と向き合いながら一つひとつの課題を乗り越えてきました。 11月の成果発表会では、このプロジェクトを通して生徒たちが何を感じ、何を形にしたのかを全力でお伝えいたします。
日 時 : 11月29日(日)13:30 ~ 15:00
場 所 : 三好市中央公民館 4階大ホール
内 容 : 徳島藩池田陣屋復元プロジェクト
(3年3か月の取り組み成果発表)
